煎茶の世界 - こころと美
日本の伝統文化としての茶道は、大きく分けると二つの流れがあります。一つは、抹茶を用いた茶道、もう一つは煎茶を用いた茶道。いずれも中国から伝えられた文化をもとに日本独自の文化として形成されたといえます。
お茶の伝来は、単に飲料としてではなく、文化的な要素として日本人は受け入れてまいりました。
お茶の伝来と文化、そのことだけが日本の文化全てとはいえませんが、日本の伝統的な文化の大きな側面を表しているといっても過言ではないでしょう。
江戸前期、中国の明の文化が長崎を経由して入ってまいります。それとあわせ煎茶の文化、その伝来の大きな役割をはたしたのが、黄檗山万福寺 開山の隠元隆琦(いんげんりゅうき)といわれ、新たな中国文化と日本の文化融合をもたらしたといえます。
中国での明時代の文化は、当時の日本の禅僧、また知識階層の文化人(画家、教育者、漢詩人等)に受け入れられ日本独自の文化として形成されていった流れがあり、飲料としての煎茶としてだけではなく、文化、芸術を伴い、独自の日本文化として形成されていきます。
焼物、書、文房具、盆栽、花、食事、など現代の我々の生活の中に溶け込んでいる多くの事が、煎茶文化の伝来と共に形成され、日本の中に独立して根付いていき、大きな役割を果たしたことが歴史をたどるとうかがい知れます。
煎茶文化は、江戸時代末期から明治大正にかけて大きく発展、隆盛の時代をむかえ、多くの美術、資料が残されています。
日常生活の中で煎茶を飲む行為は、ごくあたりまえのこととして日本人の中に根付いておりますが、先人が残した多くの資料を通し、歴史的な文化としての側面を知り、「先人の文化遺産から伝統とその本質を学び、ホンモノに直接触れ、豊かな人間性の啓発」に結び付けて頂ければ、何よりと考えています。